使わないものを何年も持ち続けていることが、いちばん「もったいない」。
捨てるのは「もったいない」から、持ち物が多くなり、探しものも見つからなくなる。
先日、しばらく開けていなかった引き出しを開けたら、いただき物と思われる箱に入ったままのハンカチ類が出てきました。ところが、箱に入っているにもかかわらず、染みが付いているのです。
これぞ究極の「もったいない」。
ちなみにこれは自分の持ち物ではないので、まだそのまま引き出しに入っています(^_^;)
同じ所から風呂敷やらてぬぐいやら、いろいろと未使用な物を発掘したのですが、みな同じような状態でした。
その引き出しを開けると、モヤッとした雑巾を洗った後のバケツの中のようなオーラが見えるような気がします。
最初は私もなかなか物を捨てることができなかったのですが、いろいろなきっかけが重なり、ようやく捨てることができるようになってきました。
それまで何冊ものお掃除本や片づけ本を買っては読んでいたのですが、全くできませんでした。
どうしても「捨てるなんてもったいない!」「リサイクルとリユースするんだ!」と思ってしまっていました。
それが自分にとっての都合のいい言い訳なのかも...と思ったのは、ドン・アスレットさんの著書「最強整理術」を読んだ時でした。
" 私たちがガラクタを取っておく最大の理由は、自分の間違いを認めるのが嫌だからだ。私たちは、後になって大嫌いになるモノや仕事を手に入れる場合が、往々にしてある。だが、それを管理したり、持っていたり、そばにおいておくのがつらいと感じても、手放す(または中止する)ところまではいかない。なぜだろう?私たちは、「自分が間違っていた」「欲張りだった」「誤った判断をした」と認めたくないのである。"
なんで使わない物が自分の手元にあるのかというルーツをたどると、あまり必要でないのに買ってしまったり、安いからと買ってしまったり、「自分が間違っていた」わけです。
リサイクルしたりリユースしたりするのはとても良いことで、積極的に利用しようと思っていますが、それで自分がやっていることを正当化して、「自分が間違っていた」ことを忘れてしまってはいけません。
今、徐々に物を減らしているのですが、減らしていくと、不思議と、更に使っていなかった物を発見するのです。
物が多くてゴチャッとしている時は、紛れて、見えなくなっているのでしょうか。
安易に買ってしまったことに猛反省しながら処分しています。
お金があれば簡単に物が手に入ってしまう世の中ですし、上手な広告などで、どんどん物を買うことを促されます。
何か物を買う時は、流されず、自分自身の明確な意思を持って、買わなければと思いました。
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